Ryuの戯書き

色々な感想や考察、想いを気ままに綴っていきます。

【エッセイ】三島由紀夫の生涯に学ぶ、小説と映画がもつ力の違い

これは何?

ブログを始めたばかりでストックが皆無なので、大学の文学の授業のレポート課題のために書き上げたエッセイを上げちゃおうって魂胆です。

理系大学の殺伐とした理系科目の中に突如現れたオアシス、「文学」。レポートのテーマは「文学の力と、その課題」で、これについて自由に論じろというものでした。

さすがにそのままは不味いので少し加筆修正を加えています。

(過去レポアップするな云々なんて話もありますが、これに関しては私自身が2019年に書いたものですし、先生は既に退官されてますし、実験レポートならまだしもこんなただの作文をコピペする人もいないでしょう。そういえば、理系大学生がほぼ全員直面することになる試練こと学生実験のレポートに関しての話も今度しようかな。気が向けば...)

 

では、本文...

戦後日本を代表する作家、三島由紀夫

そんな彼が、自己の性的倒錯について赤裸々に綴った自伝的な小説、仮面の告白。この作品は、その前代未聞の内容から世間に大きな衝撃を与えた。

また同時に、構成など文学的視点によっても当時の文壇の評価を得ることとなり、彼を弱冠二十四歳にして名実ともに著名作家という地位に押し上げた。

この作品は、自伝的小説という観点から、小説そのものの分析というよりも著者自身の生涯にまで目を向けて論じるべきであろう。

 

 三島由紀夫の文章や話し方を見ると、驚かされる。はたしてここまで自在に、美しい日本語を扱う人が今までいただろうか。そして今後現れることがあろうか。

こうした彼の極めて高い美意識と芸術性、そして生涯にわたり自己の性的嗜好について悩み、ある種の孤独を感じていた点などを考えると、とある有名な人物が思い浮かぶのは私だけではないはずだ。

一九七〇年代、革新的で斬新なスタイルにより世界中の音楽シーンを牽引したイギリスのロックバンド、Queenのリードヴォーカル、フレディ・マーキュリーである。

作家と歌手という立場の違いこそあれど、彼らの作品はその並外れた才能により世界中で支持を受けた。しかし、その反面彼らは自己の性的嗜好の他者との違いについて悩んでいた。

 

本レポートのテーマは、「文学の力と、その限界」であるから、小説「仮面の告白」と映画「ボヘミアンラプソディー」を比較しながら文学の力の正負の面それぞれについて考えていきたい。

ボヘミアンラプソディー」はちょうど昨年末(2018)に公開され、日本を含めて世界中で近年稀にみる大ヒットを記録した映画である。フレディの生涯について描いていて、彼が同性愛者でありそのことについて悩んでいたという事実は、Queenの有名な曲のみを知っていた多くの人々にとって大きな驚きをもたらした。

 

まずは、文学と映画の違いについて見ていきたい。

前者は、紙に書かれた文章を読者が読むことにより読者の脳内に読者それぞれの物語が展開されていく。視覚や聴覚などに直接訴えることはできないが、その代わり言語化された物語がそのまま読者に伝わる。したがって、書かれていないことは各々で想像するほかないが、書いてあることに関しては厳密な表現が異なる読者間でも共有されやすいともいえるだろう。

対して後者は、映像と音を視聴者が見ることにより物語が展開されていく。前衛的な作品を除けば、描かれる情景は具体性をもつため視聴者の想像に委ねられる部分は非常に少ない。

したがって、小説と比較すると視聴者間で受け取るストーリーに大きな差が生ずることはないといえるだろう。また、音楽というのは非常に大きな力をもつ。劇中歌や劇伴、これらが果たす役割というのは計り知れない。物語が盛り上がるにつれて、ハーモニーは厚くなっていきピークに向けてクレッシェンド。悲しいシーンでは、楽器の数を絞りダウンテンポ。こうして視聴者は息をのんだり涙を流したりして映画に引き込まれていく。

だが待ってほしい、これは物語によって感情を揺さぶられたといえるのだろうか。そういった意味では小説の方が純粋に物語そのものによって読者の感情が動かされるといえるかもしれない。

 

また、これは持論であるが、小説やアニメーションは何もない無に必要なものや魅せたいものを描いていく、すなわち足し算の表現媒体である。

 

対して映画やドラマは、現実世界からそのシーンに不要なものを取り除いていく、すなわち引き算の表現媒体である。

 

よって、一般的には作品を作り上げる際に必要な手法やセンスは、両者の間で全く異なったものとなるだろう。これに関しては、今まであまり例外を見たことはなかった。ある作品を除いてであるが。

その作品こそ、三島由紀夫原作、監督だけでなく脚本や主演まで務めた映画「憂国」である。

三十分ほどの作品であるのだが、かなりたくさんの文章が画面に出てくるうえに、場面は同じ部屋から変わらず、登場人物は二人のみでセリフは全く喋らない。その後ろでリヒャルト・ワーグナーの曲がずっと流れているだけである。そういった意味では極めて小説らしい映画である。

もはや小説そのものといってもいいかもしれない。

これが作者の意図するところであったのか、それとも小説家という彼の生業がそうさせたのかは私には分からない。ただ、最後に切腹するシーンは非常に写実的で映像が持つポテンシャルが存分に活かされている。

全体的に見ればあまり映画らしくはないが、三島由紀夫らしい美意識が込められた映画である。そうだ、切腹といえば彼の最期もそれであった。

彼が市ヶ谷駐屯地において文字通り命懸けで訴えた戦後日本への憂い。これが現実のものとなっている今、私たちは今後どうやってこの日本を生きていくのであろうか。

文学、そして映画によって自分の訴えを世間に届けようとした三島由紀夫。最後にはこうして行動という手段に打って出た。彼の中では文学のもつ力の限界はしっかりと認識されていたのであろう。彼ほどの人物があのような行動をしたことで新聞やテレビといったマスメディアによって世界中に衝撃が与えられた。

これは読者が読むという能動的な行動を起こさなければならない文学では決してなしえないことであろう。

 

閑話休題、「仮面の告白」と「ボヘミアンラプソディー」の比較に話を戻そう。両者とも主人公自身が女性を性的に愛することができず、男性にのみそういった欲望を抱くというシーンが印象的である。

しかし、ここには大きな違いがある。前者では主人公の心情や葛藤が事細かに描写されているが、後者ではおおよそそうなのであろうなと察することができる程度にしか描写されていない。主人公が読者に近い特性を持った者であるのならば後者でも問題ないのであろうが、今回の場合は必ずしもすべての人が容易に理解できるものではない(身近なものではない)。そういった面では、小説の心情を細かく描写できるという点は大きなアドバンテージとなっているだろう。これにより読者は置いてけぼりを喰らって、なあなあに物語を進める必要が無いのだから。また、主人公が感じている疎外感に関して、原因は異なるが共感できる部分もある、といったような部分的な理解も起こりやすいのではないか。

だが、この事細かに描写できるという利点は時に諸刃の剣となる。

特に、今回の「仮面の告白」という作品の場合それが顕著に出てしまっている。確かに具体的で詳細な描写で心情もイメージしやすいのだが、そのために難解な単語が多用されている。それに、大変くどい。つまり、読みにくいのである。これでは脱落者が多数出てしまうのも致し方ない。映画と違い、小説は次々と読者自身がページを読み進めなければ物語は進行しない。

したがって、多くの人に物語を受け取ってもらうという観点からいえば、小説にある種の限界があることは事実であろう。もちろん文章のレベルを下げた、最近の所謂ライトノベルなどの平易な文章であればそういった問題はないのかもしれない。だが、文章の持つ厳密性という小説の良さを薄めてしまうという矛盾を併せ持つ。

そういった観点からいえば、作者には誰に読んで欲しいのかといったことを意識しながら作品を作ること、読者には自身にあった作品を選ぶことが求められるのではないか。それが為されたとき、初めて文学作品が持つ力というのは最大化されることになるであろう。

そういえば、二人にはもう一つ共通点がある。女性と結婚しているのである。三島由紀夫に至っては子どもも儲けていた。やはり、あの時代においては同性愛者として生きるということは困難であり、彼らは世間向けに仮面を被って体裁を取り繕い、自身に嘘をつきながら生きていたのであろうか。そうした苦悩はある意味で彼らの作品を魅力的にしていたという面もある。LGBTに対して世間が寛容になり始めた現在であれば、彼らももう少し生きやすかったのかもしれない。

 

今回は、「仮面の告白」の内容に対して焦点を当てるというよりも、この作品が小説、すなわち文学という表現媒体であることによってどのような力を持っているのかという点について述べてきた。

だが正直、ゆっくり読む時間がなかったため、内容を理解しきれていない点が多い。じっくりと読み返して理解を深めていきたい。また、これをきっかけに三島由紀夫の他の作品も読んでいきたい。

 

ここまで、読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。

 

 

あとがき

久しぶりに読み返しましたが、今とだいぶ自分の中の考え方が変わってきている部分もありつつ、今も変わらない価値観もあるのだなと再確認できました。特に赤字にした辺りは昔からずっと今の今まで言ってることなのでこれについても今度深掘りしたいですね。

 

あと若干、文中で批判的になっていた部分もありましたが,、三島由紀夫さんの日本語の使い方は好きですし、ラノベに関してもたまに読みます。というか、基本的に雑食なのでノンフィクションからファンタジーまでなんでも読みます。

あっ、書き忘れていました。理解や考察が甘いところも多々ありますが、ご勘弁ください...。精進します。

 

はじめまして

自己紹介

東京の理系大学に通うただの大学生です。 色々なことを知りたいので興味関心は広く浅くになっていますが、航空、車などの乗り物や2次元コンテンツ(ラブライブシリーズなどなど…)なんかは語り始めると長いかもしれません。ちなみに来年からは杜の都で学ぶらしい。

 

これから

タイトルに戯書き(ざれがき)とあるように思ったことを気ままに自分のペースで書いていけたらなと思います。昔、レンタルサーバーを借りてWordPressでブログを立ち上げたこともありますがあんまり続かなかったので気負わずに書きたい時に筆をとることにします。

とりあえず何書くかなぁ…。